10月25日、夜中にとうとう熱が出てしまい、体も少しだるくなった。 起床前のSPO2は88、脈拍は58で数値だけは良い。 朝食は美味しく食べられて良かった。 今日からアイランド・ピークへの登山が始まる。 スタートから風邪をひいてしまい情けないが、いつものようにカラ元気で乗り切るしか術がない。
カラ・パタールへの順応に向かう別働隊の3人を見送り、今日の目的地のチュクン(4730m)に向けて8時半にロッジを出発。 ありがたいことに今日は半日行程だ。 昨日散歩で歩いたイムジャ・コーラ(川)の右岸の起伏の緩やかな牧草地を辿る。 アイランド・ピークが終始正面に見えるのが嬉しい。 ローツェが大きすぎるので、アイランド・ピークは小ぶりな感じだ。 天気は今日も乾燥した晴天だ。 右手に屹立するアマ・ダブラムは刻々とその姿を変えていくが、どこから見てもこの山は急峻で尖っている。 背後にはタウツェがまだ大きく、シェルパ族の聖山の一つとされるヌンブール(6959m)も遠望された。
途中でアイランド・ピークに登ってきたという日本人とすれ違った。 H.Cはまだ雪で使えず、B.Cを夜中に出発し、9時間で登頂したとのことだった。 その先では日本人のハイキングの団体を追い越した。 途中で2回休憩したが、予定よりも少し早くディンボチェから2時間半ほどでチュクンに着いた。 体調が万全ではないので、行動時間が短くて助かった。
最奥のロッジがあるチュクンは、もっと寒々しい雰囲気をイメージしていたが、四方を有名な山々に囲まれた素晴らしいロケーションを誇り、アイランド・ピークに登らなくても、ここまで来る価値は十分にあると思った。 数日後に田口さんから、背後にカラ・パタールと同じ標高のチュクン・リという展望の良いトレッキング・ピークがあるので、チュクンがそれなりに賑わっていることを教わった。
到着後は僅かに頭痛がしたが、相変わらず食欲は普通にあった。 昼食後のSPO2は83、脈拍は74で、脈が異常に高かった。 ロッジの寝室は北側で、窓は雪で塞がれていて寒かった。 1時間ほど昼寝をすると、体調が少し良くなった。 夕食はダルバートを食べたが、肉は全く無く、野菜も殆ど入っていなかったので美味しくなかった。 辺境のチュクンまでは、なかなか下の集落から新鮮な食材が届かないのだろう。
10月26日、夜中に咳が酷くなり、妻から風邪薬を無理やり飲まされる。 起床前のSPO2は87、脈拍は57で今日も数値だけは良い。 チュクンのロッジを8時に出発し、アイランド・ピークB.C(5200m)に向かう。 今日も快晴無風の良い天気だ。 小沢を渡りモレーンの背に上がる。 いよいよ近づいてくるアイランド・ピーク(6189m)の周囲を、それ以上に高い山々が壁のように取り囲んでいる。 振り返るとタウツェもまだ近い。 トレッキングルートを覆う雪はまだ溶けずに残っているが、多くの登山者、トレッカー、ポーター、そしてヤクやゾッキョによって立派なトレースが出来ていた。 通常この時期はH.C(5600m)まで殆ど雪がないらしい。
間もなく氷河の末端の扇状地に出ると、前方にバルンツェ(7152m)が見えるようになった。 右手に屹立するカン・レヤムウ(6340m)はどんどん頂を尖らせてその姿を変えていく。 チュクンから2時間ほど歩くと、アイランド・ピークの全容が望めるようになった。 その横にはローツェの南壁が圧倒的な高さで屹立し、カラ・パタール同様に、山頂を待たずに素晴らしい展望が目白押しとなった。 アイランド・ピークの山裾を右から回り込むように、バルンツェを正面に仰ぎ見ながら、残雪が次第に増える扇状地を緩やかに登っていく。
お昼近くになってようやく前方にB.Cのテント村が見えてきた。 B.Cの入口にはまだ半分雪に埋もれた石造りの管理棟のような建物があり、その先にはトレースの両脇に各隊のテントが雑然と設営されていた。 私達のテントは公共のトイレがあるB.Cの中ほどではなく、混雑を避けてH.C寄りの離れた場所に設営されていた。 正午前にカン・レヤムウを間近に仰ぎ見るB.Cのテントに着いた。 本来ならB.Cでは一人で個人用テントを使えるが、滞在期間も短く予算その他エージェントの都合で、ロッジと同じように二人で一つのテントとなった。 テントの周りの雪が深いので、トレースのある所しか歩けず、B.Cとしては全く寛げない環境だ。 食堂テントも小さく、まだ足元に雪が残っていて寒々しかった。 それでも昼食には、久々に肉(缶詰のランチョン・ミート)が出た。
午後はテントの中で明日からのアタックに向けての準備をしたりして過ごす。 SPO2は89、脈拍は67で軽い頭痛がした。 夕方、写真を撮りに少しH.C方面に歩いて行くと、テント場のすぐ裏に氷結したイムジャ・ツォ(湖)が見えた。 夕食は今日もダルバート。 スタッフを通じて今日また一人の日本人がB.Cからアイランド・ピークを登ったという情報が入った。 放射冷却で気温が低く、ダイアモンドダストが見られた。 風邪が治っていないためか、5200mという標高のせいか寒さで眠れず、途中からダウンジャケットを着込んで寝たが、体が温まってくると今度は咳が止まらず、妻の安眠を妨げてしまった。
10月27日、B.Cは高い山々に囲まれているため、7時を過ぎてようやくテントサイトに陽が当たり始めた。 寒さでピーボトルも凍っている。 間もなくキッチンボーイが温かいミルクティーをテントに届けてくれた。 起床後のSPO2は89、脈拍は63で少し倦怠感があった。 妻はいたって元気で羨ましい。 今日は標高差で400mほど上のH.C(5600m)に上がるだけなので、出発は午後からとなった。 昨日までずっと快晴無風の天気が続いていたが、運が悪いことに、今日から数日間は天気があまり良くないようだ。 風も吹き始め、食堂テントがバタついていた。 アイランド・ピークがメインで予備日があれば、今日からアタックはしないだろう。
早めの昼食を食べ、正午過ぎにH.Cに向けて出発する。 メンバー一同昼食を美味しそうに食べていたので、順応はバッチリだ。 いつものことながら、一番順応が怪しいのは私だろう。 同行するスタッフは、サーダーのパサン、タシ、ナムギャル、ニマソナ(今回はテントキーパー)の4人だ。 雪が無ければ高所靴はヤクに運んでもらい、H.Cまでトレッキングシューズで行けるが、今回はここから高所靴を履いて登る。 後退した氷河の縁に沿ってしばらく緩やかに登った後、雪が溶けたばかりの湿った草付の急斜面に取り付く。 踏み跡は薄いが、どこでも登れてしまうので、登り易そうな所を選んで登る。 登るにつれて雲が多くなり、一時は雨でも降り出しそうな空模様になった。 早く登ってしまいたいという思惑のあるスタッフ達のスピードに引きずられ、通常2時間ほど掛かるH.Cまで休憩もせずに1時間半ほどで登ってしまった。
意外にもアイランド・ピークの頂稜部の地形は複雑で、H.Cからはどこが山頂だか判然としなかった。 意外にもH.Cには岩が多く、雪が無ければ凸凹でテントが設営しにくいと思った。 そのせいか、殆どの隊がB.Cから直接山頂に登っているようで、H.Cには私達以外のテントはあまりなかった。 テントの数が少ないので、女性陣の3人が一つのテントに入ることになり、私は平岡さんと同じテントになった。 強くはないが風が吹き止まないので、テントの中でじっとして過ごす。 平岡さんのGPSではH.Cの標高は5500mとのことだった。
頭痛はしなかったが、夕食前のSPO2は75、脈拍は75と、この高さでは良くもなく悪くもなかった。 5時になると、スタッフが炒飯を作ってテントまで届けてくれた。 6時過ぎには寝たが、予報どおり風が徐々に強くなり、こともあろうに雪が降り始めた。 万事休すかと思ったが、日付が変わる頃には止んでくれたので助かった。
10月28日、いつもは酸欠で眠れない最終キャンプの夜だが、珍しく夜中に熟睡してしまい平岡さんが出発の準備を始めた3時に目が覚めた。 起床前のSPO2は70、脈拍は70で軽い頭痛がした。 奇跡的に風は収まり、雪も止んでいた。 食堂テントの前で立ちながらスタッフが作ってくれたララ・ヌードル(インスタントラーメン)を食べる。 妻も節子さんも相変わらず元気そうで安堵する。 スタッフにお湯をもらい、ハーネスとアイゼンは着けずに予定どおり4時に出発する。
タシを先頭に明瞭なトレースを辿って登る。 山村さんは体調が悪そうで平岡さんと一緒に最後尾で登ることになった。 風は無く寒さは感じなかったので、5本指のオーバー手袋で登る(結局最後までミトンは使わなかった)。 順応が出来ている妻はタシのペースに合わせて、最初のクーロワール(通常はここはガラ場らしい)を快調なペースで登っていく。 アイゼンを着けていない高所靴では登りにくく、その差はどんどん開いていく。 クーロワールを抜けると岩とのミックスの斜面になり、パサンの指示でアイゼンを着ける。 メンバーは皆調子が良さそうで、いつの間にか私が隊の最後尾となり、殿(しんがり)のナムギャルと一緒に登る。 頭上には私達の隊以外にも沢山のヘッドランプが灯り、今日も多くの人達が登っているのが分かる。 トレースは引き続き明瞭で、今のところ風もなくありがたい。
間もなく夜が白み始め、チョ・ポルやバルンツェのシルエットが暗闇から浮かんでくる。 頭上の岩稜の末端の手前に先行しているパーティーや妻たちの姿が見えた。 アマ・ダブラムの山頂に陽が当たるようになり、タルチョが巻かれた大きなケルンが建つ岩稜の末端に出た。 地形的な理由だろうか、岩稜は風が強かった。 岩稜を登っていくと、ようやくアイランド・ピークの山頂が僅かに見えたが、雪煙が舞っていたので、予報どおり天気が悪くなる前兆なのかと不安が募る。 岩稜をさらに辿ると、氷河の取り付き(クランポン・ポイント)で先に着いたメンバーが休憩していた。 クランポン・ポイントでは風も収まり一息つく。 セラックやクレバスのある氷河にはフィックスロープが張られていなかったので、ここからハーネスを着けアンザイレンして登るようだ。
遅れている平岡さんと山村さんの到着を待たずに、タシ、妻、節子さん、パサン、工藤さん、滝口さん、私、ナムギャルの8人が1本のロープで繋がり、7時にクランポン・ポイントを出発する。 天気の崩れを危惧していたが、上空は次第にヒマラヤンブルーとなり安堵する。 今まで仰ぎ見ていたアマ・ダブラムも目線の高さとなり、標高が6000m近くになっていることを実感する。 間もなくセラック帯の核心部に差し掛かると、日本人の男女3人パーティーが下ってきたので挨拶を交わすと、「病人が出たので登れなかった(高山病か凍傷かは不明)」とのことだった。
短いセラック帯を抜けると、眼前にアイランド・ピークの頂稜部が大きく望まれた。 意外にも衝立のように屹立する急峻な頂稜部の直下は平らな雪原になっていて、一旦緩やかに雪原に下る。 山頂へは左の頂上稜線を辿っていくはずだが、大雪のせいか純白の頂稜部のピークに向けて真っ直ぐにルートが付けられていた。 フィックスロープを登っている先行パーティーの姿が良く見える。 標高差はあと200mほどで、時間にして1時間半くらいで山頂に着きそうだった。 足取りも軽く雪原を歩き、デブリの末端でザイルを解いて休憩する。 メンバー一同元気で、風もなく登頂を確信した。
パサンの提案で女性陣はここでザックとピッケルをデポし、8時半前にフィックスロープに沿って登り始める。 すぐに傾斜がきつくなり、フィックスロープにユマールを掛けて登る。 前を登る妻は相変わらず好調だが、フィックスロープを登るのは初めてなので、ペースを抑えて登るように何度も後ろから声を掛ける。 フィックスロープへのカラビナの掛け替えは、力を持て余しているナムギャルがやってくれた。 眼下には氷結したイムジャ・ツォ(湖)が見え、目線の高さとなったカン・レヤムウ(6340m)の奥に尖ったピークが沢山見えてきた。 50度近い急斜面には渋滞を避けるためフィックスロープが2本張られていたが、山頂直下では下降してくるパーティーとのすれ違いで30分ほど待たされた。
フィックスロープの終了点からナイフエッジの雪稜を僅かに登り、10時に大勢の登山者で賑わう待望の山頂に着いた。 自分の登頂よりも、6000m峰の経験がない節子さんが登れたことが本当に嬉しく、また肩の荷が下りたような気がした。 前半は大雪のため、そして今日も悪天候の予報で登頂が危ぶまれていたので、本当に登れて良かった。 妻も6000m峰のサミットはボリビアのイリマニ(6438m)以来5年ぶりだったが、今日は節子さん共々全く余裕の笑顔だ。 平岡さんと登っている山村さんがいないことが唯一残念だった。 猫の額ほどの狭い山頂と大勢の登山者で身動きが取れず、360度の大展望を誇る山頂は写真を撮るのも一苦労だ。 あいにく指呼の間のローツェ(8516m)は雲が遮っていたが、チョ・ポル(6711m)の右奥に初めてマカルー(8463m)が見えた。
山頂からはおびただしい数のクーンブ山群の山々が望まれ、登頂の余韻に浸りながらいつまでも佇んでいたかったが、パサンに促され30分足らずで山頂を後にする。 下りもフィックスロープの終了点が渋滞していたが、渋滞の原因は終了点でのフィックスロープへの下降器のセッティングを各隊のスタッフがしていたことだった。 下降中に単独で登ってきた平岡さんとすれ違う。 山村さんはクランポン・ポイントで待っているとのこと。 フィックスロープの下降を終え、雪原のデポ地点で皆が下りてくるのを待つ。 節子さんが新品のダウンミトンを途中で落としてしまったが、運良くパサンが見つけて拾ってきてくれた。
デブリの末端のデポ地点で行動を食べて休んでいると、平岡さんが山頂を踏んで下りてきたので、アンザイレンして雪原からセラック帯へ下る。 再び風が吹き始めた。 クランポン・ポイントで山村さんが首を長くして私達の帰りを待っていてくれたが、本人も元気そうだったので安堵した。 ここから先は岩と雪のミックスなので、アイゼンを外すかどうか迷うが、すでに午後に入り、クーロワールの雪も溶けて柔らかくなっているだろうと、アイゼンを外してタシと2対1でアンザイレンして岩稜を下る。 予想に反して風で雪が硬く締まり、アイゼンなしではミックスの斜面は下りにくかった。
2時前に閑散としたH.Cに着く。 すでに個人用テントは撤収され、食堂テントだけになっていた。 留守番役のニマソナが温かいミルクティーで迎えてくれた。 風がだんだん強くなり、今にも吹き飛ばされそうな狭い食堂テントの中で体を寄せ合ってララ・ヌードルを食べる。 皮肉にもテントを出て少し下ると風はぴたりと止んだので、疲れた体をいたわりながら皆よりもゆっくりB.Cへ下る。 天気は徐々に下り坂となり、上空には雲が広がってきた。
皆よりも遅く3時半に寒々しいB.Cに着く。 風の影響か、B.Cの周囲の雪の表面は土や砂で黒く汚れていた。 先に到着した節子さんも無事登頂を終えて安堵した様子だった。 今回のアイランド・ピークはアマ・ダブラムのプレ登山ということで登頂ケーキは無かったが、一回のアタックチャンスだけで登れて本当にラッキーだった。 スタッフからの情報では、今朝の山頂付近は相当風が強く、登れなかったパーティーもあったようだ。
10月29日、朝食後に今回のアイランド・ピークの登頂をサポートしてくれたスタッフ達にチップを手渡す。 荷物を運ぶヤクの到着が遅れ、ようやく10時過ぎにB.Cを発つ。 今日はチュクン、ディンボチェを経て、パンボチェ(3930m)まで下る。 B.Cの雪解けは少し進んだが、テントの数は変わってなかった。
今日も風が強く、冷たい風が谷の下から吹き上げてくる。 ローツェの南壁には雪煙が舞っていた。 モレーンの背に上がると、所々で立ち止まってはアイランド・ピークの写真を撮る。 下山後に登れた山の写真を撮ったり、眺めたりするのは本当に嬉しいものだ。 チュクンには1時過ぎに着いたが、ディンボチェのロッジで昼食の予約をしているとのことで、ポテトチップでつなぎながら先に進む。 アタックの翌日の疲れた体では、下りとはいえ歩くスピードは上がらない。 2時半過ぎにようやくディンボチェのロッジに着いた。 アマ・ダブラムの山裾の残雪は少し溶けて地肌が見えるようになった。
あいにくロッジの食堂にはお客さんが多く、出発は4時前になってしまった。 ディンボチェに泊まっていきたい気持ちにムチを打って、他のメンバーが待つパンボチェへ下る。 天気は次第に下り坂となり、相変わらず風が止まずに寒い。 トレッキングルートを歩くポーターやトレッカーの姿は殆ど見られなくなった。 5時半を過ぎると周囲が暗くなり始めた。 パンボチェの上の集落への道を緩やかに登っていくと、前方で手を振る人影が見えた。 田口さんとチェリンだった。 二人はわざわざ集落の外れまで迎えに来てくれた。 田口さんからロブチェ・イースト(6119m)の土産話を聞きながらロッジに向かう。 喧噪のアイランド・ピークとは違い、同じ日に登ったパーティーは無く、快晴無風の山頂でゆっくり寛げだということで羨ましかった。
日没と同時にパンボチェのロッジに着き、一週間ぶりに隊員とスタッフ全員の顔が揃った。 ロッジの夕食は野菜の量が格段に多くなり、標高も下がったので、久々に満腹以上に食べた。 夜中に一度も起きることなく、久々に熟睡することが出来た。