10月28日、いつもは酸欠で眠れない最終キャンプの夜だが、珍しく夜中に熟睡してしまい平岡さんが出発の準備を始めた3時に目が覚めた。 起床前のSPO2は70、脈拍は70で軽い頭痛がした。 奇跡的に風は収まり、雪も止んでいた。 食堂テントの前で立ちながらスタッフが作ってくれたララ・ヌードル(インスタントラーメン)を食べる。 妻も節子さんも相変わらず元気そうで安堵する。 スタッフにお湯をもらい、ハーネスとアイゼンは着けずに予定どおり4時に出発する。
タシを先頭に明瞭なトレースを辿って登る。 山村さんは体調が悪そうで平岡さんと一緒に最後尾で登ることになった。 風は無く寒さは感じなかったので、5本指のオーバー手袋で登る(結局最後までミトンは使わなかった)。 順応が出来ている妻はタシのペースに合わせて、最初のクーロワール(通常はここはガラ場らしい)を快調なペースで登っていく。 アイゼンを着けていない高所靴では登りにくく、その差はどんどん開いていく。 クーロワールを抜けると岩とのミックスの斜面になり、パサンの指示でアイゼンを着ける。 メンバーは皆調子が良さそうで、いつの間にか私が隊の最後尾となり、殿(しんがり)のナムギャルと一緒に登る。 頭上には私達の隊以外にも沢山のヘッドランプが灯り、今日も多くの人達が登っているのが分かる。 トレースは引き続き明瞭で、今のところ風もなくありがたい。
間もなく夜が白み始め、チョ・ポルやバルンツェのシルエットが暗闇から浮かんでくる。 頭上の岩稜の末端の手前に先行しているパーティーや妻たちの姿が見えた。 アマ・ダブラムの山頂に陽が当たるようになり、タルチョが巻かれた大きなケルンが建つ岩稜の末端に出た。 地形的な理由だろうか、岩稜は風が強かった。 岩稜を登っていくと、ようやくアイランド・ピークの山頂が僅かに見えたが、雪煙が舞っていたので、予報どおり天気が悪くなる前兆なのかと不安が募る。 岩稜をさらに辿ると、氷河の取り付き(クランポン・ポイント)で先に着いたメンバーが休憩していた。 クランポン・ポイントでは風も収まり一息つく。 セラックやクレバスのある氷河にはフィックスロープが張られていなかったので、ここからハーネスを着けアンザイレンして登るようだ。
遅れている平岡さんと山村さんの到着を待たずに、タシ、妻、節子さん、パサン、工藤さん、滝口さん、私、ナムギャルの8人が1本のロープで繋がり、7時にクランポン・ポイントを出発する。 天気の崩れを危惧していたが、上空は次第にヒマラヤンブルーとなり安堵する。 今まで仰ぎ見ていたアマ・ダブラムも目線の高さとなり、標高が6000m近くになっていることを実感する。 間もなくセラック帯の核心部に差し掛かると、日本人の男女3人パーティーが下ってきたので挨拶を交わすと、「病人が出たので登れなかった(高山病か凍傷かは不明)」とのことだった。
短いセラック帯を抜けると、眼前にアイランド・ピークの頂稜部が大きく望まれた。 意外にも衝立のように屹立する急峻な頂稜部の直下は平らな雪原になっていて、一旦緩やかに雪原に下る。 山頂へは左の頂上稜線を辿っていくはずだが、大雪のせいか純白の頂稜部のピークに向けて真っ直ぐにルートが付けられていた。 フィックスロープを登っている先行パーティーの姿が良く見える。 標高差はあと200mほどで、時間にして1時間半くらいで山頂に着きそうだった。 足取りも軽く雪原を歩き、デブリの末端でザイルを解いて休憩する。 メンバー一同元気で、風もなく登頂を確信した。
パサンの提案で女性陣はここでザックとピッケルをデポし、8時半前にフィックスロープに沿って登り始める。 すぐに傾斜がきつくなり、フィックスロープにユマールを掛けて登る。 前を登る妻は相変わらず好調だが、フィックスロープを登るのは初めてなので、ペースを抑えて登るように何度も後ろから声を掛ける。 フィックスロープへのカラビナの掛け替えは、力を持て余しているナムギャルがやってくれた。 眼下には氷結したイムジャ・ツォ(湖)が見え、目線の高さとなったカン・レヤムウ(6340m)の奥に尖ったピークが沢山見えてきた。 50度近い急斜面には渋滞を避けるためフィックスロープが2本張られていたが、山頂直下では下降してくるパーティーとのすれ違いで30分ほど待たされた。
フィックスロープの終了点からナイフエッジの雪稜を僅かに登り、10時に大勢の登山者で賑わう待望の山頂に着いた。 自分の登頂よりも、6000m峰の経験がない節子さんが登れたことが本当に嬉しく、また肩の荷が下りたような気がした。 前半は大雪のため、そして今日も悪天候の予報で登頂が危ぶまれていたので、本当に登れて良かった。 妻も6000m峰のサミットはボリビアのイリマニ(6438m)以来5年ぶりだったが、今日は節子さん共々全く余裕の笑顔だ。 平岡さんと登っている山村さんがいないことが唯一残念だった。 猫の額ほどの狭い山頂と大勢の登山者で身動きが取れず、360度の大展望を誇る山頂は写真を撮るのも一苦労だ。 あいにく指呼の間のローツェ(8516m)は雲が遮っていたが、チョ・ポル(6711m)の右奥に初めてマカルー(8463m)が見えた。
山頂からはおびただしい数のクーンブ山群の山々が望まれ、登頂の余韻に浸りながらいつまでも佇んでいたかったが、パサンに促され30分足らずで山頂を後にする。 下りもフィックスロープの終了点が渋滞していたが、渋滞の原因は終了点でのフィックスロープへの下降器のセッティングを各隊のスタッフがしていたことだった。 下降中に単独で登ってきた平岡さんとすれ違う。 山村さんはクランポン・ポイントで待っているとのこと。 フィックスロープの下降を終え、雪原のデポ地点で皆が下りてくるのを待つ。 節子さんが新品のダウンミトンを途中で落としてしまったが、運良くパサンが見つけて拾ってきてくれた。
デブリの末端のデポ地点で行動を食べて休んでいると、平岡さんが山頂を踏んで下りてきたので、アンザイレンして雪原からセラック帯へ下る。 再び風が吹き始めた。 クランポン・ポイントで山村さんが首を長くして私達の帰りを待っていてくれたが、本人も元気そうだったので安堵した。 ここから先は岩と雪のミックスなので、アイゼンを外すかどうか迷うが、すでに午後に入り、クーロワールの雪も溶けて柔らかくなっているだろうと、アイゼンを外してタシと2対1でアンザイレンして岩稜を下る。 予想に反して風で雪が硬く締まり、アイゼンなしではミックスの斜面は下りにくかった。
2時前に閑散としたH.Cに着く。 すでに個人用テントは撤収され、食堂テントだけになっていた。 留守番役のニマソナが温かいミルクティーで迎えてくれた。 風がだんだん強くなり、今にも吹き飛ばされそうな狭い食堂テントの中で体を寄せ合ってララ・ヌードルを食べる。 皮肉にもテントを出て少し下ると風はぴたりと止んだので、疲れた体をいたわりながら皆よりもゆっくりB.Cへ下る。 天気は徐々に下り坂となり、上空には雲が広がってきた。
皆よりも遅く3時半に寒々しいB.Cに着く。 風の影響か、B.Cの周囲の雪の表面は土や砂で黒く汚れていた。 先に到着した節子さんも無事登頂を終えて安堵した様子だった。 今回のアイランド・ピークはアマ・ダブラムのプレ登山ということで登頂ケーキは無かったが、一回のアタックチャンスだけで登れて本当にラッキーだった。 スタッフからの情報では、今朝の山頂付近は相当風が強く、登れなかったパーティーもあったようだ。