10月24日、意外にも昨夜は熟睡出来たので、起床前のSPO2と脈拍は81と51だった。 起床後は理想的とも言える90と62になり、数値だけはB.Cの高所に順応していた。 夜中に僅かに雪が降ったようで、テント内の気温は0度だった。 空には一週間前にプジャをした日以来久々に雲が見られたが、雲があるということは上空にジェットストリームと呼ばれる強い風がないということで、アタック日としてはその方が良いらしい。 いよいよ今日から4日後の登頂に向けて4泊5日のアタックステージに入る。 今の自分の体調を考えると、もう一日B.Cで休養したいが、このタイミングではアタック日の天気予報に合わせて行動するしかない。 朝食はいつものパンケーキと関西うどんだ。
朝食後は身の回りの準備を整え、前回の順応ステージと同じように各々のペースでC.1(5500m)に登る。 体調が私以上に良くなさそうなるみちゃんが9時半過ぎに真っ先に登り始めた。 10時前に滝口さんと割石さん、そして私の順に相次いでB.Cを出発する。 泉さんはまだこれからのようだ。 今日は食糧以外の荷上げはないので前回の順応ステージの時より荷物は軽いが、あいにく今までで一番風が強かった。 この風は上空のジェットストリームと関係があるのだろうか。 吹きさらしのモレーンの痩せ尾根は風を避ける場所もなく、体感気温はマイナス10度くらいにも感じたが、焦らず自分のペースで登り続ける。 ケルンが積まれたモレーンの背の頭まで、前回、前々回とほぼ同じ時間で登れたが、逆にこれは5000m以上での順応が進んでいないことを物語っているようだった。
モレーンの背の頭の風の当たらない場所で一息入れ、今日も皆より遅れてC.1への踏み跡を辿る。 風は幾分弱くなってきたので安堵する。 途中アンドゥー、タシ、そしてカルディンの三人があっという間に追い越して行った。 C.2までのフィックスロープの安全確認にでも行くのだろうか。 天気は今までの中で一番悪く、振り返るとアンナプルナ方面の山々は鉛色の雲に覆われていた。 皆は休まず登り続けていくが、私は風のない所を選んで何度か休憩したので、前回と同じようにB.Cから3時間以上を要して一番最後にC.1に着いた。
意外にもC.1は風が弱く、ようやく落ち着くことが出来た。 前回の順応ステージでは到着後に少し気分が悪くなったが、今日は今のところ大丈夫だ。 余ったテルモスのお湯でカップうどんを流し込み、休む間もなく水作りを始める。 ここしばらく降雪がないので、テントサイト周辺の雪は硬く、しかもかなり汚れていた。 風邪がまだ完治していないのか、それとも脱水によるためか、少し喉が痛い。
昼過ぎのSPO2と脈拍は80と103で、前回と同じくらい脈が高かったので、スティックコーヒーなどで頻尿になるほど水分を摂る。 夕食は白米とフリーズドライのカレーを義務的に食べたが、B.Cと僅か600mの標高差でこれほどまで食欲が違うのは本当に不思議だ。 夕食後しばらく経ってからのSPO2と脈拍は87と80で、ようやく体も楽になってきた。 曇りがちのためか、B.Cよりも暖かな夜だった。
10月25日、6時に起床。 風も無く静かだったので前回よりは良く眠れた。 起床後のSPO2と脈拍は79と63で、体調も思ったより良くて安堵する。 いつものような快晴の天気になりそうで、アンナプルナ山群も良く見えた。 食欲はあまりなく、昨夜食べ残したご飯とカップラーメンを食べる。 身支度を整え、早朝B.Cから上がってきたサーダーのパサン、プルテンバ、そしてフィジョンの三人と共に8時過ぎにC.1を出発。 ガレ場を少し登り氷河の末端でアイゼンを着ける。 昨日とは違い快晴無風の天気で暖かい。 るみちゃんは相変わらず体調があまり良くないようだ。
前回同様ガイドの平岡さんが先頭になり、パサンが殿(しんがり)に付く。 その間を私達5人の隊員がプルテンバとフィジョンと共に各々のペースで登る。 C.1のテントの数は前回よりも少し増えていた。 C.1のすぐ上のセラック帯を左から迂回し、所々で雪の無いモレーンの上を通りながら登る。 セラック帯を抜けると、氷河に印されたトレースは前回よりも一層明瞭に見えた。 泉さんと割石さんは共に元気で頼もしい。 C.2までは数日前に往復したばかりなのでルートの記憶は新しく、芸術的な中間部のクレヴァス帯の景観もやや新鮮味が薄れていた。 前回はクレヴァス帯を過ぎたC.2直下の急斜面でバテてしまったので、今回はそれを念頭に後半部分のペースを意識的に抑えるつもりでいたが、あいにくクレヴァス帯を過ぎると風が吹き始め、空にも雲が少し湧き始めた。 6000m付近の風は微風でも冷たく感じるので、いきおいペースが上がってしまう。 体感気温以上に寒いのか、鼻水が垂れ流し状態になっていた。
結局前回よりも30分ほど早く、C.1から5時間半でC.2(6100m)に着いた。 気楽な順応ステージの時とは違い、少しでも体力の消耗を防ぎたかったので、すぐにテントの中に転がり込む。 テントの下の凸凹は前回にも増して酷くなっていたが、もう靴を履いて外に出る気力はなく、スタッフが用意してくれた雪で水作りに専念する。 今朝はまずまずだった体調はいつの間にか悪くなり、風邪のように鼻詰まりが酷く頭皮が異常に熱いが、全て高度障害と割り切って我慢するしかない。 同室の割石さんは相変わらず体調が良さそうで羨ましい。 C.2に着いてから3時間後のSPO2と脈拍は79と75で、経験上この高度では奇跡的としか言いようがなかった。 夕方になって豆粒台の血の塊(鼻糞)が取れると、ありがたいことに脈拍が65まで下がった。 夕食は食欲がない時にでも食べられる好物のカルボナーラにした。
B.Cを出発した時点での予想どおり、今回もC.2では平穏に過ごせなかったが、最悪の状態だった前回と比べれば、体調は悪いながらも前回よりは良いので、プラス思考で辛い夜をやり過ごすことにした。
10月26日、今日がアタック日なら良かったと思うほどの快晴の天気だ。 先行しているドイツ隊は今日がアタック日となっている筈なので羨ましい。 予想どおり軽い頭痛と鼻詰まりで昨夜も殆ど眠れなかった。 朝から水作りに追われ、食欲も相変わらずあまりないので、義務的にカップラーメンを食べる。 昨日からこまめにSPO2と脈拍はチェックしていたが、期待以上の良い数値にはならず、メモに記録することが煩わしくなってきた。
8時に最終キャンプ地のC.3(6400m)に向けて出発する予定だったが、アタック用の羽毛服の上下を着て高所靴を履いても足のつま先が冷たく感じたので、皆には先に行ってもらい、しばらくつま先を揉んだりして様子を見ることにした。 幸い10分ほどで症状が緩和したので、C.2の背後の急な雪壁をフィックスロープにユマールをセットして登り始める。 前回の記憶ではこの最初の雪壁が今日の核心部で、ここを登り切ればその後は終始緩やかな登行となるので、一歩一歩呼吸を整えながら意識的にゆっくり登る。 雪壁を登り切った所で一息入れていた皆が歩き始めるのを見送ってから最後尾で登り始める。
今日も元気な割石さんと泉さんの男性陣が平岡さんと先行し、滝口さんとるみちゃんの女性陣がフィジョンと共にその後に続いている。 サーダーのパサンとプルテンバはC.2の撤収の準備をしているので、まだ後ろから登ってこない。 酸欠のため思うように足は上がらないが、足先の血行も良くなり、気分の悪さも無くなった。 天気は安定していて、C.3までは明瞭なトレースやワンドがあるので、写真を撮りながら今の体調に相応しいペースで登る。 眼前のラトナチュリ(7035m)はもちろんのこと、ダウラギリやマチャプチャレが良く見える。 指呼の間のギャジカン(7038m)とネムジュン(7139m)の眺めも圧巻だ。 6416mの前衛峰の頂が見え始めた所で皆が一息入れていた。 C.2からここまで約2時間半で、前回の順応時とほぼ同じペースだった。
ここからは男性陣のしんがりで登る。 1時間ほどで6416mの前衛峰の山頂直下を右から巻くと、ようやく眼前に神々しいヒムルン・ヒマール(7126m)の頂稜部が望まれ、そのスケールの大きさと懐の深さに思わず息を呑んだ。 目を凝らすと登っているドイツ隊の人影が点々と見えたが、ルートの状態が悪いのかまだ山頂の肩にも達していなかった。 前衛峰から標高差で50mほど下った雪庇の上に最終キャンプ地のC.3が見え、その方向に尾根を緩やかに下る。 明日のアタックではC.3からさらに最低コルに向けて下らないと、頂稜部への登りには入れないことが分かり愕然とした。 ドイツ隊のサミットが遅れているのはこのためなのだろうか。
12時半に最終キャンプ地のC.3(6400m)に到着。 私達の隊のテント5張りと、ドイツ隊のテント5張りが寄り添うように設営されていた。 C.1から先行しているアンドゥー、タシ、そしてカルディンの三人はルート工作に行っているようで不在だった。 今日も少しでも体力の消耗を防ぎたかったので、すぐにテントの中に転がり込み、スタッフが用意してくれた雪で水作りに専念する。 SPO2と脈拍は76と100で、この高度ならそれほど悪くない。 さすがに少し気分が悪いが、今のところ頭痛がないので嬉しい。
ルート工作に行ったスタッフ達はまだ帰ってこないが、平岡さんから明日は3時半に出発するとの指示があった。 明日はスタッフとマンツーマンで行動するが、藤田さんがいないのでサーダーのパサンがフリーとなり、割石さんとタシ、泉さんとカルディン、滝口さんとアンドゥー、るみちゃんとプルテンバ、そして私は予想どおり控え目な性格のフィンジョと組むことになった。 早めの夕食にカップうどんを食べて横になる。 隣のテントからは相変わらず元気な泉さんの笑い声が聞こえてくる。 同室の割石さんも相変わらず体調は悪くないとのことで羨ましい。 昨年のマナスルのC.3(6700m)では、呼吸を意識的にするため敢えて寝ようとせず、なるべく起きていることを心掛けたが、今日はそれより300m低いので横になって寝ることにした。 案の定、脈が高くて熟睡出来ず、寝ている間は常にSPO2が60台だった。 鼻は完全に壊れ、鼻をかむと鼻血か血の塊しか出なくなった。
10月27日、夜中じゅう風が断続的にテントを叩き、予定どおりアタック出来るのか不安が募る。 天候待ちでここに連泊するのだけは御免だ。 半信半疑で1時半過ぎに起きてお湯を沸かし始めるが、前室に吹き込むすきま風と低温でコンロの火が弱く、朝食用のお湯を沸かすのに1時間も掛かってしまった。 前日まで毎日欠かさず朝食の前後にしていた用便は、時間が早いためか全くもよおしてこなかった。 起きていてもSPO2は60台前半と悪く体もだるいが、強い頭痛や吐き気はないので、何とかアタックすることは出来そうだ。 相変らず食欲は無いので、朝食はポタージュスープ一杯のみとなった。
行動用のお湯もなかなか沸かず、出発の準備が少し遅れてしまったが、高所靴を履きハーネスを着けてテントから出る。 風がだいぶ収まってきたので安堵した。 アイゼンを着けている間に、泉さんに続いて割石さんも出発していった。 テントを出た時はそれほど寒さを感じなかったので、5本指のオーバー手袋で出発しようとしたが、最初のコルまでの下りではフィックスロープは無いとのことで、急遽羽毛のミトンに取り替えた。 結局予定よりも30分遅れ、メンバーの最後尾で4時の出発となってしまい、周囲の写真を撮る暇もなかった。
意外にもフィンジョは自分のピッケルやストックを持たず、5mほどの補助ロープで私とアンザイレンすると、私のピッケルを預かってしまった。 出発が遅れていたので、フィンジョにその理由を聞くことも無く歩き始める。 C.3の傍らを僅かに登っただけで、すぐにコルへの長い下りとなった。 間もなく滝口さんとるみちゃんに道を譲られ、前方に揺れているヘッドランプを目標にして進む。 緩やかな下りだが、トラバース気味に右側に傾いていたり、時々小さな登り返しがあったりしてなかなかコルに着かない。 下りでもこの高さでは消耗が激しいので、なるべくすり足で歩くようにするが、トレースが凸凹していたので歩きにくかった。 コルまでは1時間足らずで下れると思っていたが、意外にもC.3から2時間を要してコルに着き、夜が白み始めた6時頃になってようやく山頂への登りに転じた。 下山後にパサンに聞くと、コルまでは単純標高差で150mくらいだったとのこと。 コルで休憩していた泉さんとカルディンのペアに道を譲られると、その先にはフリーで先導するパサンの明るいヘッドランプの灯りと割石さんとタシのペアのシルエットが見えた。 コルから仰ぎ見たヒムルンの頂は遥かに高く、そしてまだまだ遠く感じられた。
意外にもフィンジョからコルにストックをデポするよう指示があった。 先ほどのピッケルの件といい不可思議なことを言うなと思ったが、酸欠で思考が全く働いていなかったので、言われるままストックをフィンジョに渡してしまったが、これは後々大失敗だった。 斜面の傾斜が次第に増し、最初のフィックスロープが現れた。 すかさずフィンジョがユマールをセットしてくれたが、補助ロープは結んだままだったので、山頂までの登りではフィックスロープの有無に関係なくフィンジョが補助ロープで前から確保してくれるのだろうと思った。 そうであればストックは不要で、必要な都度預けたピッケルを使えば良いと思った。 今日は最終のアタック日なので、明日以降のことは考えずにマラソン大会と同じように口で息を吸って登る。
コルからしばらく登ると休憩していた割石さんとタシのペアに追いついた。 C.3からずっとフィンジョとアンザイレンしているため、殆ど写真を撮ることが出来なかったので、足を止めて周囲の写真を何枚か撮らせてもらう。 ようやく周囲が明るくなってきたが、昨日と同じような絶好の登山日和となりそうで嬉しい。 C.3もすでにだいぶ遠くなった。 ここからはパサンに先導されながら先頭で登ることになった。 フィックスロープの無い斜面ではアンザイレンされていてもストックがあった方が登り易いし、体力の消耗が少ないのだが、若いフィンジョにはそれが分からなかったのだろうか、いずれにしても後の祭りだ。 それでも今朝までずっと続いていた悪い体調でここまで来れたのみならず、このままのペースで登れれば登頂の可能性は高いので、とにかく登ることだけに集中しようと思った。
斜面の傾斜は徐々に増し、フィックスロープが連続するようになった。 隊列が長くなったためか、先導していたパサンが足を止めたので、追い越して先に進む。 酸欠により記憶も定かではないが、フィンジョから両手で拝むようにユマールを使って登るように指示があり、預けたピッケルは使わずにユマーリングだけで登ることになった。 理由は分からないが、それと同時にフィンジョは補助ロープを外して私のすぐ後ろに付き、フィックスロープ間のカラビナの掛け替えとユマールのセットをしてくれた。 低温のため雪面は全般的に硬く、凍っている部分もあり、トレースも無いので登りにくい。 確かにフィックスロープは先頭で登った方が楽だが、フィンジョがこのタイミングで敢えて後ろに付いたのは何か理由があるのだろうか。 前回のマナスルの時もスタッフは常に後ろに付いていたので、これがネパールでの登山スタイルなのかもしれない。
割石さんとタシのペアがすぐ後ろから登ってきた。 一番元気な割石さんの前をスローペースで登っては申し訳ないと思ったが、最初の下りでのボディーブローが効いてきたのか、シャリバテか、足が言うことを聞かなくなり、気持ちとは裏腹にペースは落ちる一方だった。 フィックスロープの途中では先に行ってもらうこともままならないので休むに休めず、写真も撮らずに登ることに集中する。 そのうちユマールを握る手の握力も無くなってきたので、フィックスロープの境目でフィンジョに休憩を申し出る。 割石さんも少し下で休憩していたので肩の荷が下りた。 コルからほぼ一直線にフィックスロープが張られていたので、下から登ってくるメンバー全員の姿は見えたが、この時割石さんの身にアクシデントがあったとは全く知る由もなかった。
行動食のチョコレートを食べ、ザックのショルダーベルトに付けた小さなテルモスにお湯を補充したりしながら一息入れ、再び目の前のフィックスロープにしがみつく。 休憩しても酸欠は解消されず、ペースは全く上がらない。 しびれを切らしたフィンジョが前に出て、フィックスロープを雪面から持ち上げて登り易くしてくれた。 それでも足は言うことを聞かず、ペースが上がることは無かった。 フィンジョが先頭になってしばらく登ると、ようやく右の頭上に山頂の突起が僅かに見えるようになった。 時計を見るとちょうど10時だった。 昨日まで仰ぎ見ていた6416mの前衛峰やC.3もだいぶ低く、そして遠くなった。 上空には少し雲が湧いてきたが、今のところ心配していた風は全くなく、まずまずのアタック日和だ。 ペースがかなり落ちたにも関わらず、後続のメンバーとの差が開いていたのが意外だった。 7038mのギャジカンの頂が目線の高さになり、山頂まであと標高差で200mほどに見えたので、フィンジョに「なかなか良いペースでしょ!」と投げかけると、フィンジョも笑って頷いていた。 ペースはとてもゆっくりだが、天候が急変しない限りあと2時間後の正午までには山頂に届きそうな気がした。
斜面の雪はさらに硬くなり、凍っている部分の方が多くなってきた。 前を登るフィンジョが足を雪面に叩きつけるようにして僅かばかりのトレースを付けてくれるが、それでも酸欠のため当たり前のように登ることが出来ない。 フィンジョからピッケルを返してもらい、正に杖代わりにして登る。 フィックスロープが一旦途切れた所でフィンジョから休憩を促されたので、一息入れる。 時間の感覚が鈍くなってしまったのか、いつの間にか目安としていた正午近くになっていた。 フィンジョが無線でパサンと何やら話をしている。 現在地点と私の体調やペースを伝えているのだろうが、もしかしたらサミットの制限時間を相談しているのかも知れない。 相当疲れてはいたが、作り笑顔でまだまだ元気なふりをする。 とりあえずフィンジョからサミットの制限時間についての話は一切なかったので安堵した。
フィックスロープがない区間となったので、フィンジョが再びピッケルを預かり、補助ロープを結んで登ったが、ストックがないので登りにくい。 次のフィックスロープの所からようやく山頂直下の肩の部分に入ったようで傾斜が緩んだ。 下からは米粒のように小さく見えた山頂の突起が大きなドームとなって正面に見えるようになり、明瞭なトレースが山頂まで続いていた。 見た目にはあと1時間足らずで山頂に着きそうだったが、すでにサミットの目安としていた正午は過ぎていた。 フィンジョが再び無線でパサンと話を始めた。 正午は過ぎたが、一人でも登頂すれば隊としての登頂は成功したことになるので、このまま続行するようにと指示があったのか、逆に登頂の有無に関係なくサミットの制限時間を決めたのかは定かでない。 フィンジョに交信内容を聞くのが怖いので、「山頂まであと1時間くらいかな〜?」と投げかけてみると、そうだと言わんばかりに頷いていたので助かった。
気温の上昇で霧が湧き、山頂をうっすらと覆い始めた。 私達のいる肩の部分からは本隊は全く見えない。 傾斜は明らかに緩んだが、7000mを超える高さゆえ、危惧していたとおり三歩進んでは一休みするような状況に追い込まれてしまった。 フィンジョが補助ロープで前から引っ張ってくれるが、それでもなかなか足が前に出ない。 そういう経験をしたことがない若いフィンジョは、相当苛立っているに違いない。 再び無線が入ったが、もうここまで来たら拝み倒してでも山頂に行くしかない。 フィンジョの顔はまともに見られず、写真も撮らずに登る事に集中する。
気が付くと眼前にはもう頂上ドームしか見えなくなっていた。 ドームの傾斜は急で、最後のフィックスロープが張られていた。 山頂までの標高差はもう30mほどしかなく、日本の山なら5分で登れるだろう。 意外にもフィンジョはロープを外すと、私のピッケルを突きながら先に登っていってしまった。 昨日登ったドイツ隊のものか、つぼ足のトレースがあって助かったが、何故フィンジョがそのような行動を取ったのか理解出来なかった。 登ることに集中していたので全く気が付かなかったが、いつの間にかプルテンバが私のすぐ後ろにいたことが後で分かった。 山登りを始めて以来こんなに苦しい登高があっただろうか、渾身の力を振り絞ってユマールにしがみつく。
肩で息をしながら喘ぎ喘ぎ登っていくと、雪庇を削った隙間から笑顔で仁王立ちしているフィンジョの姿が見え、精根尽き果てながらも2時半にヒムルン・ヒマールの山頂に辿り着いた。 生憎の霧で展望は全くないが、それを遥かに凌駕する達成感と安堵感で胸が一杯だった。 「ダン・ネバ!、ありがとう!」。 フィンジョに抱きついて登頂の喜びを体全身で伝えた。 振り返るとネパールの国旗を携えたプルテンバがいつの間にか後ろ立っていたので驚いた。 プルテンバも自身の初登頂を喜んでいた。 小雪の舞う山頂で、ネパールの国旗を掲げながら写真を撮り合う。 麓のプー村からも、最終キャンプ地のC.3からも本当に遠い遠い頂だった。
日没までにはC.3に戻らなければならないので、山頂には15分ほど滞在しただけですぐに下山を開始する。 まだ登ってくるパーティーの姿が霧の中に朧げに見えたが、すでに酸欠で頭がおかしくなっていたのか、それが後続の本隊だという認識は全くなかった。 体の中の酸素を全て登りで使い切ってしまったため、足はさらに言うことを聞かなくなり、普通に歩くことさえもままならなかった。 ストックがないことがさらにそれを助長していた。
山頂からしばらく下った所で、登ってくるパーティーにフィックスロープを譲ると、先頭から二番目に滝口さんに似た女性の姿が見えた。 本隊はもう時間的に無理なので引き返したと思っていたのと、滝口さんも私に声を掛けてこなかったので、すれ違うまで滝口さんだということが分からなかった。 本能的に写真を撮ったが、なぜ滝口さんが他のパーティーと一緒に登っているのか分からなかった。 その後ろからカルディンと泉さんのペアが登ってきたので、ようやくこのパーティーが本隊だということが分かった。 C.3には昨日登ったドイツ隊しかいなかったので、他のパーティーが登ってくるはずがなかった。 しんがりの平岡さんから「登頂おめでとうございます!」と声を掛けられたが、これから山頂に向かう皆の身を案じて、近くに見えてもここから2時間ほど掛かったことを伝えた。 割石さんの姿が見えなかったが、先頭を登っていたのが割石さんだったのだろうと、ぼんやりとした頭の中で思った。 るみちゃんは体調が悪く、途中で引き返したのだろうか。 プルテンバがフリーになっているのはそれゆえだったのか。
山頂に向かう皆を見送ってからC.3への下山を続ける。 ありがたいことに今日は未明以外は風に吹かれることはなかったが、霧は次第に濃くなり、緩やかな肩の部分の下りから急なコルへの下りに入っても状況は変わらなかった。 登りの時と同じようにフィンジョとの二人旅が延々と続く。 フィックスロープがあっても足の踏ん張りが全く利かないので、休み休みでしか下れず、フィックスロープがない所では、ストックがないのでバランスを保つのに苦労する。 足はもうガタガタだが、本隊はまだ山頂に向かっているし、C.3へのタイムリミットはないので気は楽だ。
本隊とすれ違ってから初めて無線が耳に入り、フィンジョが「本隊が下山を始めた」と一言だけ呟いたので、やはり時間切れで登頂出来なかったのだろうと思った。 広いコルの手前の最後のフィックスロープの末端まで下った時、後ろからプルテンバが追いついてきて、しばらくそこで待つようにと指示された。 待っている間にフィンジョが手が冷たくなってきたと言うので、スペアの羽毛のミトンとフリースの手袋を貸した。 プルテンバはタバコを吸って時間を潰していた。 久々に行動食を口にしながら30分ほど待っていると無線が入り、本隊を待たずにプルテンバを残してフィンジョと二人で下山を再開することになった。
しばらく緩やかに下って広いコルに着くと、そこにデポしたストックが置いてあった。 あとはC.3へ緩やかに登り返すだけとなったが、周囲はすでに薄暗くなり、ヘッドランプを点けて歩く。 未明に何人も歩いた割にはトレースが薄く、ヘッドランプの灯りでは分かりづらい。 目の良いフィンジョですら、所々で迷いながら進んでいた。 ストックが手元に戻ったので少しは歩みも捗るかと思ったが、標高がだいぶ下がったにも関わらず体の酸欠状態は解消されず、それどころかますますペースは遅くなった。 平坦に近い所でも休まずに歩き続けることが出来なくなり、所々で立ち止まって息を整える。 登りの傾斜が少し急になると、山頂直下での登りと同じように三歩進んでは一休みするような状態となり先が思いやられる。 フィンジョもこの超スローペースにはお手上げだろう。 おぼつかない足取りで1時間ほど登り返し、フィンジョに「C.3まであとどのくらい?」と投げかけると、意外にも1時間ほどで着くという返事が返ってきた。 周囲を覆っていた霧が徐々に晴れ、空には星が見えるようになった。 うっすらと見える周囲の山々のシルエットが幻想的だ。 相変らず風が全くないので助かるが、この状態で風に吹かれたら命の危険を感じるだろう。
C.3とコルの間は登りも下りも真っ暗で、ルートのイメージが全く湧いてこない。 歩いても歩いてもC.3のテントの灯りが見えずにヤキモキする。 足元のトレースは相変わらず薄く、もしかしたらフィンジョがルートを間違えているのではないかと疑心暗鬼になり、何度かフィンジョに訊ねる始末だ。 再びフィンジョにあとどのくらいでC.3に着くか聞いたところ、先ほどと全く同じように1時間ほどで着くという。 1時間はあくまでも自分(フィンジョ)ならということだった。 雪原の末端のような所に着くと、フィンジョは糸の切れた凧のようにどんどん先に進んでいってしまった。 おそらくC.3が近いということだろう。
月明りに照らされた雪原を休み休み歩いていくと、不意に目線の下に静まりかえったC.3のテントが見えた。 すでに10時近くになり、出発してから18時間を要してようやくC.3に帰り着いた。 長時間辛抱強く付き合ってくれたフィンジョに感謝の気持ちを伝え、力強く拝むように両手で握手を交わす。 テントの外からサーダーのパサンにも声を掛けた。 まだここは吹けば飛ぶようなC.3だが、まるでB.Cに着いたような安堵感がした。
アイゼンを外し、雪が少し積もったテントのファスナーを開けて中に転がり込もうとすると、シュラフにくるまって寝ている人がいたので、テントを間違えてしまったと思ったが、その直後に割石さんの声がしたので驚いた。 意外にも割石さんはコルからしばらく登った所で手の指が凍傷になってしまい、登頂を断念して引き返したとのことだった。 なぜ一番元気だった割石さんが突然凍傷になってしまったのか知る由もないが、慰めや励ましの言葉も見つからなかった。 すでに指は包帯で巻かれ応急処置は済んでいたが、藤田さん同様一刻も早く病院での治療が必要だろう。 本隊もまだ帰ってきてない状況で、明日中にカトマンドゥに下ることは出来るのだろうか。 気持ちの整理もつかぬまま装備を解き、脱水状態となっている体をケアするため、お湯を沸かして水分を充分に取った。 やるべきことを終え、ようやくシュラフに潜り込むと、テントの外が賑わしくなり、11時半過ぎに本隊が全員一緒に帰ってきた。 テントから顔を出すと、皆疲れ果てているものの、無事のようで安堵した。 本当に長い一日だった。
10月28日、極度の疲労と酸欠状態が6400mの高度でどのような症状を引き起こすのか不安だったが、疲れが優先していたのか、サミットが良い順応となったのか、図らずもここ数日で一番良く眠れた。 風もなく晴天の朝で安堵する。 テントに陽が当たるようになってから指の不自由な割石さんの下山の準備を手伝い、パサンと一緒にB.Cに下る割石さんを見送ってから、ゆっくりと下山の準備をして11時過ぎに全員一緒にC.3を出発する。 すでに雲が湧き始め、昨日よりも少し天気が悪い。
C.3から指呼の間の6416mの前衛峰へ登り返す。 泉さんの足取りが捗らず、平岡さんと雑談を交わしていると、時間切れで引き返したとばかり思っていた本隊も夕方の5時に登頂したということが分かり驚いた。 前衛峰で最後のヒムルン・ヒマールの雄姿を目に焼き付け、C.3の撤収を終えたスタッフ達に道を譲る。 前衛峰からは要所要所にフィックスロープがあるので、私とるみちゃんと滝口さんは各々のペースで下ることになった。 今日は一番元気なるみちゃんが終始先頭となる。 アタック日が一日遅れの今日だったら登頂出来たのではないかと思うと残念だ。 後ろから下ってくる滝口さんも相当疲れているようで、なかなか追いついてこない。 最後尾の泉さんは平岡さんと一緒に休み休み下ってくるが、いつの間にか二人の姿は見えなくなった。 昨日の長時間行動での消耗が激しく、C.3からC.2への下りは予想をだいぶ上回り、3時間ほど掛かってしまった。 C.2では先行していたスタッフ達により撤収作業が行われていた。
C.2にデポしたジャケットやオーバーパンツなどを回収し、滝口さんが懸垂でC.2へ下ってくるのを待ってからるみちゃんとC.1へ下る。 相変らず足の踏ん張りが利かないため、急斜面のフィックスロープの下りに時間が掛かる。 明後日以降は天気が崩れるのか、C.2からC.1への下りでは登ってくる隊の姿は見られなかった。 高度が下がっても体の酸欠状態は全く解消されず、C.1手前のちょっとした登り返しでもすぐに息が上がってしまう。 結局C.2からC.1への下りも2時間以上掛かった。 C.1にはB.Cからキッチンスタッフのマニが上がってきてくれ、お茶とおにぎりの差し入れをしてくれたが、これがどんな御馳走よりも美味しく感じた。 C.1にデポしたものは全て明日スタッフ達がB.Cに下してくれるとのことで、その好意にも甘えることにした。 高所靴を脱いでハイキングシューズに履き替えると、身も心も急に軽くなった。
秋が深まってきたのか、日が暮れるのも早くなり、夕陽に照らされた6416mの前衛峰が淡く染まり始めた。 滝口さんの到着を待って、るみちゃんとB.Cへ下る。 間もなく日没となったが、ヘッドランプの電池が殆どなかったので、るみちゃんに先導してもらう。 眼下にB.Cの灯りが微かに見えてくると、それが街の明かりのようにさえ思えた。
6時半に待望のB.Cへ到着。 ヒムルン・ヒマールへのアタックは終わった。 先に到着していた割石さんに声を掛けると、指の凍傷以外は相変わらずとても元気だったので安堵する。 疲れと脱力感で何もする気がおこらず、テントの傍らの岩の上に座って皆が下りてくるのを待つ。 登頂と下山の余韻に浸りながら後続隊の到着を1時間ほど待ち、着替えをしてから夕食を食べにダイニングテントに集まる。 疲労によりメンバー全員の顔が揃わず、打ち上げの宴は明日の晩に持ち越しとなった。