10月27日、夜中じゅう風が断続的にテントを叩き、予定どおりアタック出来るのか不安が募る。 天候待ちでここに連泊するのだけは御免だ。 半信半疑で1時半過ぎに起きてお湯を沸かし始めるが、前室に吹き込むすきま風と低温でコンロの火が弱く、朝食用のお湯を沸かすのに1時間も掛かってしまった。 前日まで毎日欠かさず朝食の前後にしていた用便は、時間が早いためか全くもよおしてこなかった。 起きていてもSPO2は60台前半と悪く体もだるいが、強い頭痛や吐き気はないので、何とかアタックすることは出来そうだ。 相変らず食欲は無いので、朝食はポタージュスープ一杯のみとなった。
行動用のお湯もなかなか沸かず、出発の準備が少し遅れてしまったが、高所靴を履きハーネスを着けてテントから出る。 風がだいぶ収まってきたので安堵した。 アイゼンを着けている間に、泉さんに続いて割石さんも出発していった。 テントを出た時はそれほど寒さを感じなかったので、5本指のオーバー手袋で出発しようとしたが、最初のコルまでの下りではフィックスロープは無いとのことで、急遽羽毛のミトンに取り替えた。 結局予定よりも30分遅れ、メンバーの最後尾で4時の出発となってしまい、周囲の写真を撮る暇もなかった。
意外にもフィンジョは自分のピッケルやストックを持たず、5mほどの補助ロープで私とアンザイレンすると、私のピッケルを預かってしまった。 出発が遅れていたので、フィンジョにその理由を聞くことも無く歩き始める。 C.3の傍らを僅かに登っただけで、すぐにコルへの長い下りとなった。 間もなく滝口さんとるみちゃんに道を譲られ、前方に揺れているヘッドランプを目標にして進む。 緩やかな下りだが、トラバース気味に右側に傾いていたり、時々小さな登り返しがあったりしてなかなかコルに着かない。 下りでもこの高さでは消耗が激しいので、なるべくすり足で歩くようにするが、トレースが凸凹していたので歩きにくかった。 コルまでは1時間足らずで下れると思っていたが、意外にもC.3から2時間を要してコルに着き、夜が白み始めた6時頃になってようやく山頂への登りに転じた。 下山後にパサンに聞くと、コルまでは単純標高差で150mくらいだったとのこと。 コルで休憩していた泉さんとカルディンのペアに道を譲られると、その先にはフリーで先導するパサンの明るいヘッドランプの灯りと割石さんとタシのペアのシルエットが見えた。 コルから仰ぎ見たヒムルンの頂は遥かに高く、そしてまだまだ遠く感じられた。
意外にもフィンジョからコルにストックをデポするよう指示があった。 先ほどのピッケルの件といい不可思議なことを言うなと思ったが、酸欠で思考が全く働いていなかったので、言われるままストックをフィンジョに渡してしまったが、これは後々大失敗だった。 斜面の傾斜が次第に増し、最初のフィックスロープが現れた。 すかさずフィンジョがユマールをセットしてくれたが、補助ロープは結んだままだったので、山頂までの登りではフィックスロープの有無に関係なくフィンジョが補助ロープで前から確保してくれるのだろうと思った。 そうであればストックは不要で、必要な都度預けたピッケルを使えば良いと思った。 今日は最終のアタック日なので、明日以降のことは考えずにマラソン大会と同じように口で息を吸って登る。
コルからしばらく登ると休憩していた割石さんとタシのペアに追いついた。 C.3からずっとフィンジョとアンザイレンしているため、殆ど写真を撮ることが出来なかったので、足を止めて周囲の写真を何枚か撮らせてもらう。 ようやく周囲が明るくなってきたが、昨日と同じような絶好の登山日和となりそうで嬉しい。 C.3もすでにだいぶ遠くなった。 ここからはパサンに先導されながら先頭で登ることになった。 フィックスロープの無い斜面ではアンザイレンされていてもストックがあった方が登り易いし、体力の消耗が少ないのだが、若いフィンジョにはそれが分からなかったのだろうか、いずれにしても後の祭りだ。 それでも今朝までずっと続いていた悪い体調でここまで来れたのみならず、このままのペースで登れれば登頂の可能性は高いので、とにかく登ることだけに集中しようと思った。
斜面の傾斜は徐々に増し、フィックスロープが連続するようになった。 隊列が長くなったためか、先導していたパサンが足を止めたので、追い越して先に進む。 酸欠により記憶も定かではないが、フィンジョから両手で拝むようにユマールを使って登るように指示があり、預けたピッケルは使わずにユマーリングだけで登ることになった。 理由は分からないが、それと同時にフィンジョは補助ロープを外して私のすぐ後ろに付き、フィックスロープ間のカラビナの掛け替えとユマールのセットをしてくれた。 低温のため雪面は全般的に硬く、凍っている部分もあり、トレースも無いので登りにくい。 確かにフィックスロープは先頭で登った方が楽だが、フィンジョがこのタイミングで敢えて後ろに付いたのは何か理由があるのだろうか。 前回のマナスルの時もスタッフは常に後ろに付いていたので、これがネパールでの登山スタイルなのかもしれない。
割石さんとタシのペアがすぐ後ろから登ってきた。 一番元気な割石さんの前をスローペースで登っては申し訳ないと思ったが、最初の下りでのボディーブローが効いてきたのか、シャリバテか、足が言うことを聞かなくなり、気持ちとは裏腹にペースは落ちる一方だった。 フィックスロープの途中では先に行ってもらうこともままならないので休むに休めず、写真も撮らずに登ることに集中する。 そのうちユマールを握る手の握力も無くなってきたので、フィックスロープの境目でフィンジョに休憩を申し出る。 割石さんも少し下で休憩していたので肩の荷が下りた。 コルからほぼ一直線にフィックスロープが張られていたので、下から登ってくるメンバー全員の姿は見えたが、この時割石さんの身にアクシデントがあったとは全く知る由もなかった。
行動食のチョコレートを食べ、ザックのショルダーベルトに付けた小さなテルモスにお湯を補充したりしながら一息入れ、再び目の前のフィックスロープにしがみつく。 休憩しても酸欠は解消されず、ペースは全く上がらない。 しびれを切らしたフィンジョが前に出て、フィックスロープを雪面から持ち上げて登り易くしてくれた。 それでも足は言うことを聞かず、ペースが上がることは無かった。 フィンジョが先頭になってしばらく登ると、ようやく右の頭上に山頂の突起が僅かに見えるようになった。 時計を見るとちょうど10時だった。 昨日まで仰ぎ見ていた6416mの前衛峰やC.3もだいぶ低く、そして遠くなった。 上空には少し雲が湧いてきたが、今のところ心配していた風は全くなく、まずまずのアタック日和だ。 ペースがかなり落ちたにも関わらず、後続のメンバーとの差が開いていたのが意外だった。 7038mのギャジカンの頂が目線の高さになり、山頂まであと標高差で200mほどに見えたので、フィンジョに「なかなか良いペースでしょ!」と投げかけると、フィンジョも笑って頷いていた。 ペースはとてもゆっくりだが、天候が急変しない限りあと2時間後の正午までには山頂に届きそうな気がした。
斜面の雪はさらに硬くなり、凍っている部分の方が多くなってきた。 前を登るフィンジョが足を雪面に叩きつけるようにして僅かばかりのトレースを付けてくれるが、それでも酸欠のため当たり前のように登ることが出来ない。 フィンジョからピッケルを返してもらい、正に杖代わりにして登る。 フィックスロープが一旦途切れた所でフィンジョから休憩を促されたので、一息入れる。 時間の感覚が鈍くなってしまったのか、いつの間にか目安としていた正午近くになっていた。 フィンジョが無線でパサンと何やら話をしている。 現在地点と私の体調やペースを伝えているのだろうが、もしかしたらサミットの制限時間を相談しているのかも知れない。 相当疲れてはいたが、作り笑顔でまだまだ元気なふりをする。 とりあえずフィンジョからサミットの制限時間についての話は一切なかったので安堵した。
フィックスロープがない区間となったので、フィンジョが再びピッケルを預かり、補助ロープを結んで登ったが、ストックがないので登りにくい。 次のフィックスロープの所からようやく山頂直下の肩の部分に入ったようで傾斜が緩んだ。 下からは米粒のように小さく見えた山頂の突起が大きなドームとなって正面に見えるようになり、明瞭なトレースが山頂まで続いていた。 見た目にはあと1時間足らずで山頂に着きそうだったが、すでにサミットの目安としていた正午は過ぎていた。 フィンジョが再び無線でパサンと話を始めた。 正午は過ぎたが、一人でも登頂すれば隊としての登頂は成功したことになるので、このまま続行するようにと指示があったのか、逆に登頂の有無に関係なくサミットの制限時間を決めたのかは定かでない。 フィンジョに交信内容を聞くのが怖いので、「山頂まであと1時間くらいかな〜?」と投げかけてみると、そうだと言わんばかりに頷いていたので助かった。
気温の上昇で霧が湧き、山頂をうっすらと覆い始めた。 私達のいる肩の部分からは本隊は全く見えない。 傾斜は明らかに緩んだが、7000mを超える高さゆえ、危惧していたとおり三歩進んでは一休みするような状況に追い込まれてしまった。 フィンジョが補助ロープで前から引っ張ってくれるが、それでもなかなか足が前に出ない。 そういう経験をしたことがない若いフィンジョは、相当苛立っているに違いない。 再び無線が入ったが、もうここまで来たら拝み倒してでも山頂に行くしかない。 フィンジョの顔はまともに見られず、写真も撮らずに登る事に集中する。
気が付くと眼前にはもう頂上ドームしか見えなくなっていた。 ドームの傾斜は急で、最後のフィックスロープが張られていた。 山頂までの標高差はもう30mほどしかなく、日本の山なら5分で登れるだろう。 意外にもフィンジョはロープを外すと、私のピッケルを突きながら先に登っていってしまった。 昨日登ったドイツ隊のものか、つぼ足のトレースがあって助かったが、何故フィンジョがそのような行動を取ったのか理解出来なかった。 登ることに集中していたので全く気が付かなかったが、いつの間にかプルテンバが私のすぐ後ろにいたことが後で分かった。 山登りを始めて以来こんなに苦しい登高があっただろうか、渾身の力を振り絞ってユマールにしがみつく。
肩で息をしながら喘ぎ喘ぎ登っていくと、雪庇を削った隙間から笑顔で仁王立ちしているフィンジョの姿が見え、精根尽き果てながらも2時半にヒムルン・ヒマールの山頂に辿り着いた。 生憎の霧で展望は全くないが、それを遥かに凌駕する達成感と安堵感で胸が一杯だった。 「ダン・ネバ!、ありがとう!」。 フィンジョに抱きついて登頂の喜びを体全身で伝えた。 振り返るとネパールの国旗を携えたプルテンバがいつの間にか後ろ立っていたので驚いた。 プルテンバも自身の初登頂を喜んでいた。 小雪の舞う山頂で、ネパールの国旗を掲げながら写真を撮り合う。 麓のプー村からも、最終キャンプ地のC.3からも本当に遠い遠い頂だった。
日没までにはC.3に戻らなければならないので、山頂には15分ほど滞在しただけですぐに下山を開始する。 まだ登ってくるパーティーの姿が霧の中に朧げに見えたが、すでに酸欠で頭がおかしくなっていたのか、それが後続の本隊だという認識は全くなかった。 体の中の酸素を全て登りで使い切ってしまったため、足はさらに言うことを聞かなくなり、普通に歩くことさえもままならなかった。 ストックがないことがさらにそれを助長していた。
山頂からしばらく下った所で、登ってくるパーティーにフィックスロープを譲ると、先頭から二番目に滝口さんに似た女性の姿が見えた。 本隊はもう時間的に無理なので引き返したと思っていたのと、滝口さんも私に声を掛けてこなかったので、すれ違うまで滝口さんだということが分からなかった。 本能的に写真を撮ったが、なぜ滝口さんが他のパーティーと一緒に登っているのか分からなかった。 その後ろからカルディンと泉さんのペアが登ってきたので、ようやくこのパーティーが本隊だということが分かった。 C.3には昨日登ったドイツ隊しかいなかったので、他のパーティーが登ってくるはずがなかった。 しんがりの平岡さんから「登頂おめでとうございます!」と声を掛けられたが、これから山頂に向かう皆の身を案じて、近くに見えてもここから2時間ほど掛かったことを伝えた。 割石さんの姿が見えなかったが、先頭を登っていたのが割石さんだったのだろうと、ぼんやりとした頭の中で思った。 るみちゃんは体調が悪く、途中で引き返したのだろうか。 プルテンバがフリーになっているのはそれゆえだったのか。
山頂に向かう皆を見送ってからC.3への下山を続ける。 ありがたいことに今日は未明以外は風に吹かれることはなかったが、霧は次第に濃くなり、緩やかな肩の部分の下りから急なコルへの下りに入っても状況は変わらなかった。 登りの時と同じようにフィンジョとの二人旅が延々と続く。 フィックスロープがあっても足の踏ん張りが全く利かないので、休み休みでしか下れず、フィックスロープがない所では、ストックがないのでバランスを保つのに苦労する。 足はもうガタガタだが、本隊はまだ山頂に向かっているし、C.3へのタイムリミットはないので気は楽だ。
本隊とすれ違ってから初めて無線が耳に入り、フィンジョが「本隊が下山を始めた」と一言だけ呟いたので、やはり時間切れで登頂出来なかったのだろうと思った。 広いコルの手前の最後のフィックスロープの末端まで下った時、後ろからプルテンバが追いついてきて、しばらくそこで待つようにと指示された。 待っている間にフィンジョが手が冷たくなってきたと言うので、スペアの羽毛のミトンとフリースの手袋を貸した。 プルテンバはタバコを吸って時間を潰していた。 久々に行動食を口にしながら30分ほど待っていると無線が入り、本隊を待たずにプルテンバを残してフィンジョと二人で下山を再開することになった。
しばらく緩やかに下って広いコルに着くと、そこにデポしたストックが置いてあった。 あとはC.3へ緩やかに登り返すだけとなったが、周囲はすでに薄暗くなり、ヘッドランプを点けて歩く。 未明に何人も歩いた割にはトレースが薄く、ヘッドランプの灯りでは分かりづらい。 目の良いフィンジョですら、所々で迷いながら進んでいた。 ストックが手元に戻ったので少しは歩みも捗るかと思ったが、標高がだいぶ下がったにも関わらず体の酸欠状態は解消されず、それどころかますますペースは遅くなった。 平坦に近い所でも休まずに歩き続けることが出来なくなり、所々で立ち止まって息を整える。 登りの傾斜が少し急になると、山頂直下での登りと同じように三歩進んでは一休みするような状態となり先が思いやられる。 フィンジョもこの超スローペースにはお手上げだろう。 おぼつかない足取りで1時間ほど登り返し、フィンジョに「C.3まであとどのくらい?」と投げかけると、意外にも1時間ほどで着くという返事が返ってきた。 周囲を覆っていた霧が徐々に晴れ、空には星が見えるようになった。 うっすらと見える周囲の山々のシルエットが幻想的だ。 相変らず風が全くないので助かるが、この状態で風に吹かれたら命の危険を感じるだろう。
C.3とコルの間は登りも下りも真っ暗で、ルートのイメージが全く湧いてこない。 歩いても歩いてもC.3のテントの灯りが見えずにヤキモキする。 足元のトレースは相変わらず薄く、もしかしたらフィンジョがルートを間違えているのではないかと疑心暗鬼になり、何度かフィンジョに訊ねる始末だ。 再びフィンジョにあとどのくらいでC.3に着くか聞いたところ、先ほどと全く同じように1時間ほどで着くという。 1時間はあくまでも自分(フィンジョ)ならということだった。 雪原の末端のような所に着くと、フィンジョは糸の切れた凧のようにどんどん先に進んでいってしまった。 おそらくC.3が近いということだろう。
月明りに照らされた雪原を休み休み歩いていくと、不意に目線の下に静まりかえったC.3のテントが見えた。 すでに10時近くになり、出発してから18時間を要してようやくC.3に帰り着いた。 長時間辛抱強く付き合ってくれたフィンジョに感謝の気持ちを伝え、力強く拝むように両手で握手を交わす。 テントの外からサーダーのパサンにも声を掛けた。 まだここは吹けば飛ぶようなC.3だが、まるでB.Cに着いたような安堵感がした。
アイゼンを外し、雪が少し積もったテントのファスナーを開けて中に転がり込もうとすると、シュラフにくるまって寝ている人がいたので、テントを間違えてしまったと思ったが、その直後に割石さんの声がしたので驚いた。 意外にも割石さんはコルからしばらく登った所で手の指が凍傷になってしまい、登頂を断念して引き返したとのことだった。 なぜ一番元気だった割石さんが突然凍傷になってしまったのか知る由もないが、慰めや励ましの言葉も見つからなかった。 すでに指は包帯で巻かれ応急処置は済んでいたが、藤田さん同様一刻も早く病院での治療が必要だろう。 本隊もまだ帰ってきてない状況で、明日中にカトマンドゥに下ることは出来るのだろうか。 気持ちの整理もつかぬまま装備を解き、脱水状態となっている体をケアするため、お湯を沸かして水分を充分に取った。 やるべきことを終え、ようやくシュラフに潜り込むと、テントの外が賑わしくなり、11時半過ぎに本隊が全員一緒に帰ってきた。 テントから顔を出すと、皆疲れ果てているものの、無事のようで安堵した。 本当に長い一日だった。